読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

UCバークレー留学記

カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)での思考の記録。

英語は世界語

phdryugaku.hatenablog.com

 
こちらのエントリの続きです。
英語を真面目に学び始めたきっかけとなったのが、10年以上前に日本での学生時代にタイ北部のお寺と檀家さんにお世話になった時のことです。日本人の高僧で、PHP出版などから何冊も著書のあるプラユキ・ナラテボー師のご好意で、最初の一週間はお寺で瞑想やタイ語などを教わり、次の二週間で檀家のお家にホームステイをさせていただくというものでした。
 

f:id:knjshiraishi:20150517000430j:image

 
この写真は、ホームステイをさせていただいたお家の前で撮ったものです。水道や電気は訪問の前年に一部開通し、電話は村に一台しかないところでした。家以外には人工物がなく、村の中心だけは道路をつくるべく、村人が何人か集まって小規模な工事をしていました。鶏と犬が村の中を駆け回り、子供たちはお腹が空いたら道端にはえているバナナや木の実を取って食べる(それがまた美味しいのです)、そんなところでした。
 
僕はサバイバルのため、最低限の意思(お礼の言い方、自己紹介、トイレはどこか、お腹が空いたなど)を伝えるだけとタイ語(ラオ語)を覚え、村の人たちと身振り手振りを交えながらコミュニケーションをとりましたが、三歳児未満の伝達能力しかありません。言葉が通じないとはこんなに大変なことか、と思いました。
 
しかし十代を中心に、英語がそれなりに(一般的な日本人学生以上に)話せる若者がいました。彼ら、彼女らと話せる時のほっとした感覚は忘れられません。彼らを通じて、より多くの人たちともコミュニケーションをとることができたことはすごくありがたかったです。
 
そして、電気も水道も道路もないような場所でも、英語さえ話すことができればコミュニケーションをとることができるという事実に、当時の僕は衝撃を受けました。つまり、英語は単なる一言語ではなく、いわば世界語として機能しているのだと初めて実感したのです。英語を使えることはアメリカ人と話せるかどうかを決めるのではなく、世界のどこでもやっていけるかどうかを決めるのだ、とその時に気づけたことは、僕の人生に取って大きな出来事だったのだと思います。
 
f:id:knjshiraishi:20150517002924j:image
f:id:knjshiraishi:20150517002917j:image
 
それから三十ヶ国以上を訪れ、多くの国々の人たちと学んだり、仕事をしたりしてきました。特に途上国の若者の英語に対する意欲はすごいものがあります。次回はそれについて書いてみたいと思います。