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UCバークレー留学記

カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)での思考の記録。

サイゴン再訪

10度目のホーチミン(サイゴン)訪問

ホーチミンに行ってきました。ここ三年で十回目の訪問です。自分がゼロから企画し、立ち上げた大規模プロジェクトをホーチミンで行っていて、プロジェクトリーダーとして、また交渉責任者として、足繁く通いました。都市開発は二十年三十年というスケールの仕事なので、まだまだ最初の第一歩です。今夏のアメリカ行きで残念ながら自分はこのプロジェクトから離れますが、これからも陰ながら応援していきたいと思います。

今回で最後の訪問になるので、仕事の合間をぬって三年間の付き合いになるカウンターパートの皆さんとフェアウェルディナーをしたり、最終日には友情の印としてとても立派な額に入った絵をいただいたりしました。そういうところは、東南アジアの国々の皆さんは思いやりを上手に見せてくださいますね。ありがたいことです。

 

ホーチミン市人民委員会

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上の写真は、とても雰囲気のあるホーチミン市人民委員会です。クアン委員長(日本でいう市長)には、大阪にお越しいただいて、橋下市長と都市間協力の覚書を結んでいただきました。見た目はとても温和、しかしタフネゴシエーターと評判のリーダーでした。ホーチミンの建物は雰囲気があるものが多いが特徴です。

 

勤勉で優秀な若者たち

ベトナム戦争のせいもあり、政府内にシニアやミドルの絶対数は少なく、少数精鋭です。その一方で、優秀な若手職員がどんどん育っています。これは、政府職員向けのヨーロッパの大学院への留学奨学金制度(年に数人が選抜されて、英、仏、独などの大学院で修士や博士をとるもの)がしっかり整っているのも大きいです。日本だと同じような制度を持った自治体は東京都くらいでしょうか。そもそも人口の平均年齢が二十代半ばの国ですから、職場にも前向きな雰囲気が満ち溢れている気がします。

ただ、ホーチミンの友人たちに言わせると、ベトナムは優秀な人材とそうでない人材の差が非常に激しく、優秀な人材に仕事が集中してしまうのだとか。そこが組織運営上の大きな問題だそうです。

 

バイクの洪水

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あたベトナムといえばバイクですが、初めて行った時には、バイクの交通量にど肝を抜かれたものでした。現在、日独中等の企業によって地下鉄がどんどん工事中ですが、今のところはバイクが市民の足。35℃くらいの気温が続くので、他の東南アジアの国々と同様、歩いて移動するという選択肢がないのです。

また、フランスの都市計画によって作られた都市だからか、日本にも最近導入されたラウンドアバウトで信号を代替しており、歩行者にとっては道路を渡るのに一苦労します。自分は道路を渡れずホテルニッコーサイゴンの前で20分くらい立ち往生したこともありました。10回もくればそれなりにコツはつかめてくるのですが、今回の訪問ではなんと市の中心部にはLEDの信号が設置されていました。これだけで随分歩きやすくなりました。

 

愛国心

アメリカで出会ったアジアの留学生は、二カ国を除いて、だいたいみんなアメリカに残りたいと公言していました。実際、クラスメートのほとんどが5年経った今もアメリカに残っています。さて、その二カ国というのは、日本とベトナムなんです。よほど祖国の居心地がいいのか、愛国心が強いのか、面白いなあと思ったことを覚えています。海外で修行した若者は、先進国へのキャッチアップのための大きな成長エンジンになりますので、これもベトナムの立派な資産です。

 

独立と発展

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ホーチミンの仕事を始めてから、ベトナムの歴史を本で学んだり、ホーチミンの友人たちとコーヒーやビールを飲みながら歴史などについて話を聞いたりしました。アメリカを相手に戦った歴史は、今でも様々な形で残っています。

ベトナム戦争が終わった1975年、ベトナムのインフラはほぼ完全に破壊されていました。そのため独立の英雄・ホーチミン主席を先頭に悲願の南北統一を成し遂げたものの、世界の最貧国としてスタートせざるを得なかったベトナム。しかしこの三十年間の絶え間ない発展により、ホーチミンは中進国レベルに近づきつつあります。歴史を学ぶと、この短期間によくもここまで、と思わされます。

これから五年後、十年後にこの都市を訪れた時、どのようになっているのかが今から楽しみなのです。