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UCバークレー留学記

カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)での思考の記録。

voiceかexitか:ハーシュマンの「離脱・発言・忠誠」より

修士留学時代のリーダーシップの授業(ロバート・B・ライシュ 教授)で学んだ概念に、VoiceとExitの対比があります。ハーシュマンが提案したもので、なるほどなあ...と深く納得した記憶があります。このフレームで、いろいろなことをアナロジーとして理解できるからです。

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(余談ながら、アメリカの大学では大量にリーディングの宿題があるので、こういう必読文献を一通り学ぶことができるというメリットがあります。それはさておき。)

組織の中で働いていて、何か問題が生じた時、あなたには二つの取り得る手段があります。一つは、その問題を相手に説明し、改善を求めて働きかけること。これを、声を上げる=voiceと言います。
 
もう一つは、既存の枠組みの中で問題を解決するのではなく、それをあきらめ、新しい組織に移り、そこで問題解決を図るというものです。これを、退出する=exitといいます。
 
たとえば日本やヨーロッパのような歴史の長い社会では、伝統的にexitという選択肢をとることはそう簡単ではありませんでした。職業や住む場所を変えることには多大なコストがかかったからです。最近は随分変わってきたとはいえ、日本では今でも転職のハードルはそれなりにあると考えられています。このような場合、問題解決は多くの場合voiceによって行われることになります。
 
一方、アメリカにおいては、西海岸というフロンティアがあったこと、労働市場が流動的であったことなどから、exitという選択肢が比較的容易でした。既存の大組織で限界を感じたら、起業し、あるいは成功しそうなスタートアップに参加し、大組織を抜き去ってしまう、その結果残された大組織は倒されてしまう、そういったダイナミズムがそこかしこに見られるのが、アメリカの凄みです。
あるいは政府に対するシンクタンクやNGOの存在もexitによる代替案の提示と言えるでしょう。
 
Voiceもexitも、両方とも大事です。特に日本のように、何かを変えることに大きなコストが生じる社会の場合、現実的にvoiceが第一の選択肢になります。
 
しかし、システムとして硬直化(政治的駆け引きの結果、行き着くところまで行ってしまった状態)している時には、voiceでは打破できない袋小路に陥り、経済社会がダイナミズムを失ってしまいます。個人がexitという選択肢をとり、システムとの補完、代替関係を作ることで、そうしたデッドロックを突破する糸口とすることが、日本や欧州のような伝統的な社会では必要かもしれません。
 
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